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息子の中にあるポテンシャル

 
みなさん、こんにちわ。
エキスパートガイドの福寿谷信江です。

今日は高3の息子の進路相談で学校に行きました。
そして帰り道お茶の水の銀座アスターでお食事しました。
ここは思い出の場所です。
とても懐かしかったです。

6年前中学受験の一次試験で落ち二次試験も絶望で終わったその日。
2人でここに来たのです。

21階からの景色は大雪であたり一面が真っ白でした。
人生にはいろんな挫折があることや
私は息子の人生を信じていること愛していることを話したことを覚えています。

それまでも何かあるたびに人間の価値は何であるかを話しあってきました。
私たちは心を開きあい信頼を深めていきました。

そうやって生きてきた道のりは私たちの宝ものです。

「覚えてる?ここ?」
と聞くと黙ってうなずいていました。

私たちはアスター麺と春巻きとフルーツたっぷり杏仁豆腐
何故か偶然6年前と同じものを頼みました。

私は大学受験の息子の心配を全然していません。
息子を完全に信頼しています。
家族を思いやる優しい息子ですから。

帰りは満員電車でした。
押しつぶされそうになる私を知らん顔しながらかばったり
黙って荷物をもってくれたり
つっけんどうだけど私を守ってくれています。

息子は私を助けるために生まれてきてくれたのかな。

私は本当に幸せです。


いじめや吃音を乗り越えた息子。
どんな状況の中でも私は息子の中にあるポテンシャルを念じ続けてきた。
そのポテンシャルを信じ続けてきた。

今までもこれからもずっとずっと。

私の子供に生まれて来てくれて本当にありがとう。

感謝です。


最後まで読んでくださりありがとうございました。



fukuchansmile * - * 21:25 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

わかったつもり


こんにちわ。
エキスパートガイドの福寿谷信江です。

今日は友人の齋藤かおるさんの電子書籍の出版記念パーティがありました。
「人生がひかる.ユニバーサルダイエット.5つの宝箱」 
〜心も体もにっこりするceciliaゴールデンレシピつき〜
グットタイム出版より8月11日発売です。

また今日はかおちゃんの絵の個展も同時開催。
どこまでも優しいうきうきする絵です。
そして心と体の目覚めをサポートすると言うかおちゃんの愛に満ちた食事も
いただきました。

パーティにいらしていた方々も個性的な方々で、
メルヘン作家とかメルヘンカメラマンとかスポーツ選手や
グラフィックデザイナー、作曲家、音楽家、英語の先生やら楽しいメンバーでした。

クリエイティブな場というのは本当に居心地がいいものです。
芸術の素晴らしさもありますがやはりそこに集まる人ですね。
大事なのは。
美しいと感じる人の氣がいいのです。




そうです。

人。

自分以外は全員他人です。
犬や猫からお金をもらうわけじゃなく私たちはお金も人からもらいます。
人を愛し人を憎み
良いことも悪いことであっても全て人を通して体験します。

この他人大事ですねー。
だって他人しかいないのですから。

では私たちはどれくらい他人のことをわかっているのでしょうか?
身近な人でもたとえ一緒に暮らしていたとしても
よーく考えてみるとその人の人生を知っているとは言えません。

自分のことですら100%わかっていると言えないのですから。

他人のことを何%わかったつもりになっているのでしょうか?
本当のところのその人をよく知りもしないで
こういう人!と決めつけ
わかったつもりになって誤解したりしています。

あなたは私のことを愛しているからとか、
家族だからとか、

私のことわかって当然!!!なんて。

すごっいー!すっごーい!傲慢ですね。

本当のところの他人の心は図りしえないのに。
何を考えどんな傷をおっているのかわからないくせに。

わかったつもりになっちゃいけませんね。

本当のところわかっちゃいないんだから。
その他人のグレートさを。

自分に嫌なことする他人であっても、

自分のものさしで観るんじゃなくて
その人の過去・人生の体験を思いやった時
もっと優しくなれるんじゃないか、
もっと優しくすればよかったと思います。

IRMでは他人は宇宙の入り口。
宇宙とはその人の内的宇宙のことです。

嫌だと思う人はすべて自分の価値観を上質にさせてくれるために存在してくれている。

以前の私は好き嫌いが激しく
嫌だと思う人がいて苦しんでいました。

先生は
「他人は100%自分を写す鏡です」
「他人は100%自分」
「嫌で嫌で仕方ないその人が本当に自分だったとわかったとき浄化される」

と言われました。

その時自分と他人は別でした。
だから現実を嫌なことをする他人のせいにして生きていました。

だって。でも。
と人のせいにしていました。

自分が創造主である生き方とはほど遠いものでした。

他人がこうこうするから私は不幸せなのよー。
幸せの決定権は他人次第です。

でも本当は私はこういう生き方が嫌でした。
すべての人を愛したかったのです。
他人を憎んでいる自分が本当に嫌でした。

だからIRMを始めました。

他人はどこまでも自分だった!
自他一体。

他人は自分を覚醒させてくれる有難い存在だと
わかればわかるほど
他人を世界を愛せるようになれます。

他人はどこまでも自分だから
自分を高めれば高めるほど相手を高められます。

そうして幸せの輪が広がっていく。

そんな仲の良い社会にしたいです。



最後まで読んでくださりありがとうございました。








fukuchansmile * - * 22:09 * comments(2) * trackbacks(0) * pookmark

肝心なことをやる

 
こんばんわ。
エキスパートガイドの福寿谷信江です。

猛暑が続きます。
アイスクリームがとてもおいしいです。
みなさま体調にはくれぐれも充分氣をつけてくださいね。
今日もこのブログを読んでくださりありがとうございます。

さて、最近心に響いた文章がありましたので
シェアさせていただきます。



一つのことを徹底的に理解すると全てのことを理解するのです。
全てを理解しようとすると何も理解できません。
一番いいのは自分を理解することです。
すると全てが理解できます。
自分の道をつくろうと一生懸命になる人を助けることになるのです。
その時あなたは人から助けられるでしょう。
自分の道を作るまでは誰も助けることができず
また誰もあなたを助けません。
この真の意味での自立を果たした時に
あなたは心の中のすべてを忘れてしまい
全く異なった新しいものを一瞬一瞬発見していかなければなりません。
これが私たちがこの世界で生きる生き方です。
そこで私たちは
真の理解は空から生まれると言います。



先日友人がこんなことを言っていました。

「夫は外ずらはいいけど家族のことはほったらかしなのよー」
「たった3千円のうなぎさえ家族のためにはしぶるのよー」
「外での遊びや付き合いには惜しみなくお金を使うのにねー」

彼女は文句たらたらで怒っていました。

ホント、最悪だなと思いました。

でも相手のせいにする生き方を私は選びませんので
彼女の代わりに自己観察してみました。

感情は怒りです。

それが何故嫌なのかというと
家族以外の人を大事にすることが嫌なわけです。

その時の価値観は

つきあいばかりしていないで、本当に大切なもの家族のために時間やお金を使うべきだ。
外ばっかり向いていないで本当に大切なもの・人を愛を注ぐべきだ。

ここの時点で私はハッとしました。

彼女を通して、私へのメッセージを受けとったからです。

「脇ばかり観ていて、肝心なことやってないじゃない」
脇見ばかりして、本当にやるべきことに集中できていない自分の姿をそこに観たのです。

家族をほったらかし、外で遊んでばかりの彼は
よそ見ばかりをしてやるべきことをやっていない
自分の鏡だった。

宇宙はそうやって知らせてくれている。

「何やっているのよ」
「本当に大切なことは何なの?」
「それをやらないで何ちゃらちゃらしてるの?」
「肝心なことやってないじゃない」

自分のやりたいこと、ミッションに向かって心を一つにすることを教えてくれた。
鏡として見せてもらった。
そしてそこで終わるのではなく
この体験から何を学ぶのか?
自分はどう行動するのかで現実は変わる。


自分は脇見をせず
自分のやるべきことを見極めその一つのことに向かって徹底的にやる。

私は本当に大切なもののために生きる。
自分を最大限に活かすために自分の特性を理解すること。
自分を理解すること。

自分の道をちゃんと作ること。

そうやって行動に移すことで
禅の道に少しでも近づいて生きたいと
思います。



最後まで読んでくださりありがとうございました。










fukuchansmile * - * 23:47 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

静かな愛が湧いている


こんにちわ。
エキスパートガイドの福寿谷信江です。

先週の日曜日友人のルミちゃんのフラダンスを観に行きました。
プロとして日本・ハワイと活躍しているルミちゃんです。
超美人で超面白い、大好きなルミちゃんの踊るフラは
正に魂の震える愛の鼓動を感じました。

静かで温かで、深ーい慈悲を想わせるフラに酔いしれました。
アップテンポの曲で合ってもその臍下の一点に不動なる愛を感じるのです。
涙が出てきました。 
ものすっごいオーラです。

そこで私は愛とは何だ?
と考えました。

ルミちゃんのフラの愛は静かにフツフツと泉のように湧きあがってきていました。
ただ静かに溢れ続けていたのです。

そこには疑いもない
不動なる愛がありました。

そこで私は思いました。
愛は本当はいついかなる時でも溢れ続けている。

私たちは自然の恵みの中で生かされています。
太陽や空気はいつでも与えてくれます。
人間が自然にどんな仕打ちをしたとしても分け隔てなく与えてくれます。
人間がどんな状況でも愛し続けてくれているのです。
有難いですねー。

私たちは太陽さんや空気さんに絶対的信頼を寄せています。
絶対裏切りはしない。
絶対安心の存在でいてくれているのです。

ルミちゃんのフラの愛からそういう絶対的愛を感じました。
私はそういう愛を求めていたんだな、
だから涙が出たんだな、
と思いました。

私はゆるぎない愛の存在をずっと信じていました。
探してきました。


人生の中で誰もが片思いであっても恋愛の体験があるでしょう。
どんなに傷つく恋愛であっても人を好きになることは素晴らしいです。
どうか面倒くさがらず人を好きになってくださいね。
愛することは尊いことですから。

恋愛は初めのころはお互いに夢中でただただ楽しいただただ好きになります。
恋情ですね。
2人だけの世界・キラキラしてます。

そして時が経ち
将来のことなど考えだす頃
恋愛関係はサイコーにお互いを成長させますね。

それを苦悩の始まりという人もいるかもしれません。

愛とは時に苦しいものですから。
何で苦しいの?
それは
それほど愛しているということですから。

親密な関係では隠れていたものが全て表に出てきて
隠せなくなります。

本当に愛する人と出逢った時ある意味覚悟が必要なんですね。

うまくいかない思考パターンやコンプレックスが心の中のどこにあっても
それは現れてきます。

親密な関係において感情はでやすいものです。
いつもクールで淡々としている人であっても。
だから恋愛は素晴らしいんです。


嫉妬したり、不満を感じたり、怒ったりします。
そんなネガティブな感情がでてきた時が
自分の中のマイナスをプラスに変える絶交のチャンスです。

そんな時は
めそめそ・うだうだ
言ってないで自己観察をしましょう。

例えばやきもちは恋愛によくあります。
嫉妬です。

自分だけを愛してほしい。
他の女性は彼を愛してはけない。
とか
恥ずかしいけどこんな感情ありませんか?

彼は私だけを愛するべきだ。
私以外の人は彼を愛してはいけない。

なんて。

傲慢の極みですねー。
怖いですねー。

自分がそう言われたら窮屈で仕方ないのに。

俺だけを愛するべきだ。
俺以外の人は彼女を愛してはいけない。
なんて。


それは鳥かごに閉じ込められるような拷問です。



では何で自分だけを愛してほしいと思うのでしょうか?

愛を失う恐怖。
一人になるのが怖い。
一人はさびしい。

ここですね。やはり。

私は愛を失うのでしょうか?
相手の愛を失う恐怖は相手に主観を置いています。
私の愛は?
私の愛を失うことはあるのでしょうか?

一人が怖いって
一人ってなんでしょう。
私はいつでも一人なんです。
一人で生まれてきて一人で死んでいく。

何も持たずに生まれてきて
太陽さん空気さんの恩恵を受け両親に愛されて生きてきました。
両親の愛は無償でした。
すごいです。
感謝です。

そして私も赤ちゃんで生まれてきてものすっごい幸福や喜びを
両親に与えてきました。

赤ちゃんの私を抱く両親の至福の顔を観ればわかります。
赤ちゃんのパワーはすごいです。
その存在は喜びであり豊かさであり感動です。

本当の私ありのままの私ってこうだったんだ。
存在自体が人を幸せにすることができる。
生まれてきたときのように
与え続けていればいいんだ。

相手がどうあろうと
一方通行でも

やはり与え続けていればいいんだ。
根源なる愛をフツフツと流していればいいんだ。
それはもうすでに自然にできてる行為だ。

愛されるために何かをする必要はない。
もうちゃんとできている。

そして
誰かがいなくても自分は愛そのもの。
愛は失うものではなくて
自分が発しているもの。

だから愛は無くならない。
失わない。

愛は充分足りています。
足りているものに焦点を合わせたものが満たされた人です。


フラの
フは湧き上がる
ラは光・エネルギー
エネルギーを湧き上がらせるもの。

フラは私たちの根源のとても純粋で尊いつながりを
湧きあがらせているように思いました。

だから私はそこに静かなる不動な愛を感じたのです。

そして思い出しました。

愛はここにあったことを。
満たされていたことを。



最後まで読んでくださりいつもありがとうございます。

エキスパートガイド
福寿谷信江
fukuchansmile * - * 21:55 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

すでに自由

 
みなさん、こんにちわ。
エキスパートガイドの福寿谷信江です。

最近毎日飲んでいるのがにんじんジュースです。
にんじん3本・りんご1個・グレープフルーツ1個を低速ジューサーで作ります。
とっても美味しいんです。
身体が喜んでいるのがわかります。
健康にも美容にもいいし美味しいしオススメですよ。
よかったら試してみてくださいね。


さて、しとしと雨が降っていると心が落ち着きますね。
私は朝と晩に心を鎮める時間を作っています。
静かに呼吸します。

般若心経を読んだりもします。

般若心経の始まりは「観自在菩薩〜」です。

価値観は自由自在
すでに自由と言っています。

自由

自由であることーときめきますねー。

先生が講演の時に
「私たちは自由になるために生れてきた」
と話されたことがありました。

そのことがすごく腑に落ちて
「あぁ〜私はそこに生きたかったんだなー」
と思いました。


自分の持っている価値観で苦しんでいるなら手放せばいい。
自分が
それを信じた方が価値があると思っているもの。
無意識のうちにそう思っちゃっているもの…
厄介ですねー。

他人がいて初めてネガティブな感情が出てきて
悩みます。

「何でそんなことするの〜」

相手を批判します。
自他不一致です。

例えば愛することに関して
自分が愛されたいように愛されないから不満に思います。

自分は愛されることについてどんな価値観をもっているのか
考えるチャンスです。

私は最大に愛されないと自分には価値がないと思ってしまう価値観を持っていました。
最大に愛されないと拒否されたと思ったり
最大に愛されないとそれは愛されていることにならないと決めこんでいました。

先生はそのようなことを以前お嬢様根性と言いました。
私は家族や親せきに最大に愛されてきたんだなーと思います。
だから最大に愛されることが当たり前と思ってしまう自分がいました。

私は自分のものさしで相手の愛をはかっていたのです。
いままでも充分もらっていました。
いままでも充分愛されていました。

あげると言うものを受け取っていなかったのは私でした。

宇宙は24時間365日私の幸せのために存在してくれていると言うのに
最大に愛されないと私は受け取らないとかそういう愛され方は嫌だとか言って
自分独自の価値観によって
幸せになろうとしていなかったのは自分でした。

ちゃんと愛されていたんだなーと
安心しましたし感謝だなーと思いました。

他人には何の問題もなくただ自分の情報の受け取りかたに問題があると言う事です。
こんな情報の受け取り方をしていたから幸せになれなかったんだなー
また一つ自分の中のマイナスをプラスに変えることができました。

ネガティブな感情を引き出してくれた他人様のお陰です。

自分以外他人しかいません。
言いかえれば他人は自分の宇宙とも言えます。

自分の成長のために宇宙は存在してくれていて
自分の成長のために他人は存在してくれている。
他人は自分の意識を進化させてくれるために存在してくれている

そう考えると他人と言うのは
どの人も有難い愛情深い人に思えてきます。

その人・一人一人どの人が欠けても私の人生は成立しませんでした。
嫌なことしてくれる人こそ最重要人物なのです。
私は悩んでいたから真理を求め続けたのです。

その悩んでいた病んでいた自分というのは家族や先生やいろんな人の支えで
今日の今この瞬間の幸せを感じるようになりました。

その潜在価値を考えた時
どれだけの人が私のために時間を使って私を守り育ててくれたのか?
今日までの自分が出来上がるまでどれだけの人に愛されてきたかと考えると
自分は与えられ続けてきたんだなー
自分のために他人は存在してくれていたんだなー
と有難い思いになりました。

自分ってこんなに沢山の人のお世話になって
自分ってこんなに恵まれていたのー
と自分の存在価値のすごさに驚きました。

人間として生れた私たち一人一人はこういった存在価値をもつ存在であるのです。
自分が親にしたことなんて何にもないに等しいのに
母はどれだけでも尽くしてくれました。
生きてこれたのも両親のお陰です。
そういう愛されてきた存在なんですね。
私たち一人一人は。

どの人も大事です。
「先生は他人はいない」と言われます。
私はAさんでありBさんでありCさんでもある。
みんな全部自分だと。
そこに自分が観えると。

そこに嫌な関係があるのだったらその鏡が悪いのではなくこっちが悪いわけですから。
観自在菩薩ですね。
価値観を自由自在にして自分が変わればいいのです。
すべてを受け入れ肯定していくIRMはある意味修業です。

なかなか出来ないことです。
それでもやると決めたなら行き先は間違いなく絶対安心絶対幸福です。

自分の価値観は自由自在にできます。
自分で自由になれるのです。

誰かのせいにして不自由でいる必要はもうないのです。


お金があること地位があること結婚していること
そういう成功者になることよりも
幸せなのは
今自分が自由であることだと思うのです。

今を受け入れ今を生きること。
素晴らしいです。


最後まで読んで下さりありがとうございました。

福寿谷信江




fukuchansmile * - * 22:00 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

どっちでも幸せ

 
こんにちわ。
エキスパートガイドの福寿谷信江です。

雨降りの日は晴れの日より元氣がでないように思います。
朝起きて窓を開けると雨…
そんな日は元氣100%じゃないんだけど
静かな氣持ちで落ち着きます。
鎮かな自分を感じるのもなかなかいいものなのです。

どっちでも幸せ。
何にもなくても幸せ。
なカンジが私を幸せにします。

今までの人生を振り返ってみると楽しいことばかりではあるわけなく
結構悩んできました。

いいことばかり平和で順調なことばかりだったら
今の私はないし、私の宝である人々とも出逢うことはなかったと思う。

あの時あんなに傷ついて苦しかったから今に到達したんだと思うと
これからも起きるであろう悲しい出来事も未来の私のための有難い学びと受け取ることができる。

良いことも悪いこともどっちも大事。
どっちも素晴らしい体験。


さて先週末息子の隆之介が友達と廊下でぶつかって鼻を骨折した。
保健の先生から電話があって手術と聞いたとき、すごーく悲しいくて落ち込んだ。
隆之介の身体が傷ついたことが私も傷つき悲しくなった。
母と子の霊的つながりだ。

家に帰ると以外と元氣そうだったので少し安心した。
「ママ、相手の子を怒らないでね。」
それが隆之介の第一声だった。
痛みに耐え、相手を気遣う優しい子。

明日は手術だから9時以降何も食べれないんだと緊張した様子。
一緒にご飯を食べて同じ部屋で寝た。
翌朝、女子医大にタクシーで行った。

診察の時に今日局部麻酔で手術するか来週全身麻酔で入院して手術するかの2択を迫られた。
来週になると骨が固まってしまって元通りになりにくくなる。
でも局部麻酔の手術は相当痛いとのことで究極の選択だった。
先生は隆之介の恐怖を最大にした。
正直にずばずば相当な痛みであること。
麻酔自体も目の方まで綿を詰めるので痛みは半端ない。
全身麻酔にしたところで術後の痛みは相当であること。
どっちの選択をしたとしても相当な苦しみだと先生は言った。

私は落ち込みと共に先生に対して怒りを感じた。

「何でそんな怖がることを言うの?」
「どっちの選択も苦しいなんてそんな救いのないこと何で言うの?」

隆之介は待合室で1時間わんわん泣いた。
怖いのとどうしていいのかわからず泣き続けていた。
こんなに泣いてこんな幼い子供にズバズバ言って本当に何て先生なの?
と私は怒っていた。

泣き止んでから1時間隆之介と話し合った。
私は痛みのない全身麻酔を勧めた。
全身麻酔に後遺症がないことや一週間後であってもちゃんと鼻は治ることを話した。
「怖いよー怖いよーどっちも怖い」と涙を流した。
「そうだよね怖いよね。自分の身体傷つけるんだから。」
私も本当に悲しかった。

感動したのは
2時間の間お隣座った方々が優しく励ましてくれたことだった。
まるで自分の子供に対するように温かだった。
子育ては一人でじゃないんだなー
皆さんに支えられているんだなー
と改めて感動した。
大感謝。

2時間が過ぎる頃再び先生の診察室に行った。
その時まだどっちにするか決められないでいた。
隆之介は局部麻酔のやり方その後の施術について細かく聞いた。
そして今ここでやると先生に自分で言った。

自分で決めた隆之介。
すごい!
大人でも叫ぶ治療に挑むと自分で決めたのだ。

先生は午後から大学に行く仕事があったのに
「俺がやるから大丈夫だ」と言った。

先生は無責任に怖がらせたんじゃなかった。
事実を隆之介を一人の人間として尊重して話したのだ。
鼻をもう一度骨折させて元の位置に戻すのだからその痛みは半端ない。
そういう状況であることを先生は正面から嘘偽りなく話してくれた。
先生は隆之介を信じてくれていたのだ。
先生の真正面からの誠実さが隆之介に通じた。

私はと言えばそんな痛みに耐えられっこない。
そんな痛みは体験させたくない。
隆之介の男気を信じていなかった。

でも隆之介はその痛みを受けると自分で決めた。
子供扱いしなかった先生が隆之介男にしてくれた。

八尾先生との出逢いを忘れないだろう。
3番目で甘えん坊の隆之介を変えてくれた先生。
強さとは本当の優しだと八尾先生は教えてくれた。

麻酔は1時間かけてゆっくりだった。
だんだんぐったりしてきて眠っては起きて怖いよー怖いよーと言っていた。
もう痛い思いは嫌だから自分の身体やお友達の身体を大事にしようね〜
痛いの本当にヤダもんね〜。
とかいろんなことを話した。
隆之介はもうこんな痛いの嫌だと深くうなずいて手術を受けに行った。

悩んで苦しんで痛い思いをして隆之介は学んだ。
生きていれば苦しい状況の中で自分で決断する場面があること。
痛みに立ち向かうときがあること。
勇氣を持つこと。

またひとつ大人になった隆之介。
頼もしく成長した。
身体は小さいけど心は強くて優しい。

手術は上手く行った。
鼻はほとんど元通りになった。
さすが先生だ。
隆之介は涙と血をいっぱい流していた。
叫ぶほど痛かっただろうに
その顔は明るく自信に満ちていた。

妥協しない八尾先生だから私は信用した。
ごまかさない先生の生き方に感動した。
はっきりさせることは本当の優しさだった。
厳しいことを言うけれどそれについてくる人は徹底的に面倒見る。
幸田先生にそっくりだと思った。

幸田先生も厳しい。
私を甘やかさない。
八尾先生を通して幸田先生の優しさが身に染みた。

隆之介は怪我を誰のせいにもしない。
まだまだ痛みはあるがちゃんと受け入れてる。

運動会には出れなかったこと
バスケの大会に出れなかったこと
悔しかったと思う。

でもグズグズ引きずらない。
氣持ちを切り替えることができる。

隆之介や八尾先生は素晴らしい私の鏡です。
神様、いつも学びをありがとうございます。

良いことも一見悪いこともどっちも素晴らしいです。
ありがとうございます。



最後まで読んでくださりありがとうございました。

福寿谷信江
fukuchansmile * - * 17:09 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

いつでも笑顔で!

 
こんにちわ。
エキスパートガイドの福寿谷信江です。

みなさまお元気ですか?
雨など降ってまたしっとり氣持ちが鎮まりますね。
今日もこのブログを読んで下さり大感謝です。
ありがとうございます。

先日箱根の九龍神社に行きました。
何年も前から行きたかったところなのに行かずにいたのです。
人間明日死ぬかもしれないのに
行きたくてそのままにしていたところ
やりたくてそのままにしていたこと
今やろう!
と思いたち、出かけました。

お天気サイコー
芦ノ湖の遊歩道を歩いていくと
若葉の匂いや土の匂いが
湖の波たつせせらぎが
静かなる自分を呼び起こします。

風のささやき
鳥のさえずり
若葉のおしゃべり
その光の中でただ鎮かに歩きました。
龍神の氣を感じながら自分と共にいるその時間は
今私に必要な栄養でした。

九龍神社のほとりはしずかにそこにありました。
しーんと鎮まっていて本当に氣分が良かったです。

行きたいところに行けて良かったです。
今を楽しまなければ楽しめる明日などやってこないと思います。
みなさんも自分を大切にしてあげてくださいね。




さて行きます。
先日目にとまった言葉がありました。


「リーダーの原点はいつでも上機嫌で
希望の旗印を掲げ続けること。
これを降ろしたら誰もつぃてこない。」

そうだなと思った。
幸田先生がおどおどしたり文句いったりしているとこ観たことないし
いつも「大丈夫だ」とどーんとしていてくれている。
前向きではつらつとしている。

以前先生から
「うちの社長はいつでも笑顔でいるんだよ。」
と言われるようになりなさい。
と言われた。

当時は
「だってそうもいかない時もあるのよー」
と思っていた。

でも今は先生の言葉の深い意味が少しわかるようになってきた。
いつでも笑顔で希望の旗印を掲げつづけるそういうリーダーになりたいと思う。

どんなことがあっても笑顔で受け入れていくその強さの意味がわかってきた。
それは妥協ではない。
それは我慢ではない。
それは思いこませることではない。

上っ面の笑顔ではない。
受け入れる笑顔であり
許しの笑顔であり
いたわりの笑顔だ。

私はIRMで受け入れることを学んだ。

ずるい人や嘘をつく人、人を馬鹿にする人さまざまな人を受け入れることができた。
受け入れるんだ!だという思いこみではなくて。

自分を怒らせる他人には何にも問題はないことを知った。
自分がそれをどう捉えるかに問題があるという事。

自分特有の価値観
自分独自の常識

何で自分はその人をそういう風に見ているのかな?
何でムカつくように考えてしまう生き方を自分はしてしまうのかなー?

自分の思い通りにさせたいとか。
傲慢な自分をそこで観ることができました。

その相手が自分の鏡として見せてくれているずるさや嘘を知ることができました。
あんなひどいことしていない。
あのずるい人が自分の鏡・自分だと思えない。

でもずるい自分っていました。
自分で決めたことをやらないことです。
今日アイロンかけしなければならないのに寝てしまう自分。
朝決めた時間に起きないで30分寝てしまう自分。
自分との約束を破っています。

そういう鏡として自分の姿を教えてくれています。
自分の中のマイナスに気づかせてくれる人です。
自分のマイナスをプラスに変えるチャンスをくれている有難い人です。
感謝ですね。

この間のアカデミーでひらりーが言ってました。
鏡として観るだけでは現実は変わらないと。

自分が行動して変わることでしか現実は変わらないのだと
ずるくない自分になること。
決めたことをちゃんとやる自分を大事にする人になること。

ずるいことされたら悲しいし嘘つかれたら悲しい
それを自分にしないようにしようと思う。
決めたことをちゃんとやることは自分を大事にしてあげることだとわかりました。


そうやって問題は相手にないことを知ることで自分を変えるようになります。
それが受け入れるということなのです。

歳を重ね経験を積むことで受け入れることがどんどん増えて行く。
そして自分独自の価値観をそぎ落としていくことができる。

そして本当の笑顔が生まれるという訳です。

これからも精進して
いつでも笑顔でいられる人になりたいです。

最後まで読んで下さりありがとうございました。


福寿谷信江





fukuchansmile * - * 17:52 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

今この瞬間に生きる

 こんにちわ。
エキスパートガイドの福寿谷信江です。

今日も私のブログを読んでくださりありがとうございます。
いつも貴重なお時間を本当にありがとうございます。

5月は病院通いであっという間に過ぎてしまったように思います。
年末から体調を崩し
日本内外から沢山の方々の支えがありまた新しい出逢いも沢山ありました。
今はいろいろあって
絶好調じゃない自分もまたいいカンジだと穏やかな気持ちでいます。

今月は乳がんと子宮頸がんの悪性の可能性があるということで
精密検査を受けました。

検診で癌の可能性があると診断され癌と言われていないのに
目の前が真っ暗になりました。
ひらりーに電話して怖くて怖くておいおい泣きました。
ひらりーも乳がんになってこんなに怖かったんだと思うと余計に泣けてきました。
私はひらりーの本当の痛みをわかっていなかったと。

私は「何で次々に試練が来るの?」と聞くと
ひらりーは
「それが人の役に立つためだからだよ。」
それから
「ふくちゃんは癌でも癌じゃなくても死なないから大丈夫だから。」
と言いました。

すべてを受け入れるしかないのだけど恐怖の感情はなかなかおさまりません。
でも人の役にたつため?
と聞いたとき
私の肉体が人の役に立つために病気になるのだとしたら
それは意味のあることだと思った。
そうしたらまた違った涙になった。
受け入れてみようという涙にかわった。

そしてひらりーは何の根拠もないのに
私は死なないと言った。
私はその言葉を信じた。

ひらりーは自分も乳がんになり恐怖を体験している。
そして癌とともに生きている。
体験と力強さとはこんなにも頼もしいものなのかと思った。
幸田先生の圧倒的な存在感・高エネルギー・安心感もまた波乱万丈な体験からきている。
一見苦しい体験こそ神様からの期待でありギフトであるのだと
この時本当に実感した。

確かに幸田先生やひらりーには動じない強さがある。
自己観察の精妙性もあるが
私は体験を乗り越えたところの凄味を感じる。

ひらりーは
「癌はすぐには死なないから
死ぬその時までどう生きられるか考えられるんだよ。」
と言った。

私は家系が短命で癌であることから死に対する恐怖はずっとあった。
でも死ぬのは全員だし。
その時を心配してもいつくるかわからない。
みんなただ死ぬまで生きるだけなのだ。

この日は命のタイムリミットを意識した瞬間だった。
誰もが死ぬのに何が怖いのか?

母として娘として経営者として生きてきた。
そのすべてがもう私がもう力を尽くさなくてもこれからもうまくいくだろうと思えた。
肩の荷がおりてホッとした。
もう大丈夫なんだと思えた。

では私は何が悲しいの?怖いのか?
それは愛する人たちとの別れだった。
本当に愛している人は誰なのか?
明日死ぬとしたら今誰と過ごすのか?

死を意識した瞬間今までいかに自分が条件づけて人を判断してきたかがわかった。
自分は無条件に愛されない存在だと思っていたこともわかった。
私は条件づけで他人を観ていたところから
明日死ぬのに条件づけはいらないことに氣づいた。
ただ今世同じ時代を生きてくれたことへの有難い気持ち。
どういう職業だからどういう性格だから、そんな世間がどういうか的なことは
どうでもいいことに氣づいた。

その魂と触れ合い切磋琢磨し生きたこと。
この果てしない数の人の中から自分と出逢ってくれた。
そして私はものすごーーーく愛された。
そして私はものすごーーーく愛した。

大きなことはひとつもできなかったけど
ここ最近はご飯を作るとか朝起きておはようと言うとか
いってらっしゃいーと言うとかそういう小さいことがすごーく愛しく思えてきた。

今別れがつらいと思う人を今この瞬間そし永久に大事に愛そうと思う。
生きている限り。
婦人科と乳腺外科の細胞検査は両方痛かったけど
痛みや恐怖からくるものではなくて
診察のはじめから最後まで何故かわからないけど
ずーーーっと涙が静かに出ていた。
あったかい涙がずっと出ていた。

何だかもう降参したというか。
私の力ではどうしょうもないー
大いなるものに生かされているというか
起きてくることを受け入れます〜という心境だったのです。

先生方の大丈夫だから心配しないでねの言葉も最高に心強かったです。
結果は今後も要観察で癌には進行していないとのことでした。

ひらりーに結果をメールすると
「まだまだ死ねないふくちゃんでしたー(笑い)」
と返信がきて笑い泣きしました。

自分の大事なものは何なのか?
大事な人は誰なのか?
それはいつ大事にするのか?


今この瞬間だ!!


最後まで読んでくださりありがとうございました。
貴方の今日が心穏やかでありますように。

エキスパートガイド福寿谷信江
fukuchansmile * - * 23:23 * comments(2) * trackbacks(0) * pookmark

愛はどこにある?


こんにちわ。
エキスパートガイドの福寿谷信江です。

もう梅雨に入ったのでしょうか?
空がどんよりしていますね。
そういう時もまた趣があって好きです。

さて、私はちょっと落ち込んだりするとマザーテレサさんの言葉を読み返します。
癒されるのです。




「大切なのはどれだけ沢山のことをしたかではなく
どれだけ心を込めたかです。」

「私たちは大きなことは出来ません。
ただ小さなことを大きな愛でするだけです。」


「仲間のために主よ仕えることのできる人にならせてください。
私たちの理解を通して愛と平和と喜びを与えてください。
主よあなたの平和を人々にもたらす道具として私をお使いください。
憎しみのあるところには愛を。
不当な扱いがあるところには許しを
分裂のあるところには一致を。
疑惑のあるところには信仰を。
疑っているところには真理を。
悲しみがあるところには喜びをもっていくことができますように。
慰められることを求めるよりは慰めること。
理解するよりは理解すること。
愛されることよりは愛することを求める心をお与えください。」

「苦しんでいる孤独な人すべてにいつでも喜びにあふれた笑顔を向けなさい。
世話をするだけでなくあなたの心を与えなさい。」

マザーテレサさんの墓石にはこう刻まれています。

「私があなた達を愛したようにお互いに愛を与えなさい。」


真理を言葉で言うのは簡単だしわかったようなつもりになっているけど、
マザーテレサさんのように愛を体現した方の言葉には真実が在ります。

どんなに自分がちっぽけだと思っても
与えることができると思う時胸が高鳴ります。

清く正しく美しく優しい氣もちで生きたら
自分の中に光りが輝き出すんだなと思います。
その光は誰に左右されることもないものです。
ゆるぎない安心がそこにあったらそこが本当の幸せです。

マザーテレサさんの言葉によって私は心が鎮まるのです。

何度も考えます。

「人は愛されるから豊かになれるのか?」
「幸せという氣持ちはどこからくるのだろう?」

婚活をしている人は沢山いますが何故結婚したいのでしょうか?
世間一般的に結婚するものだから?
子供がほしいから?
すれば幸せになると思っているから?

結婚=安定=幸せ=形があれば安心
好きな人とずっと一緒にいたいから結婚するのでしょう。
愛される喜びは何者にも変えられない幸せだと思うからです。
何度も何度もそうやって恋愛してきました。

愛されることによって得られる幸せは
恋愛の最中はいいのかも知れませんが、
電話をくれないとかかまってくれないとか
不満がでてきたりもう好きではないのではないかという
愛を失う恐怖にもなります。
何かしてくれないと心配。不満足。
愛してくれないと不安。

愛を受け取る立場でいる時くれないと不満になります。
愛とはいったいどこに在るのでしょうか?
誰がもっているのでしょうか?

自分は相手の愛がほしい。
相手は?
相手はあなたの愛がほしいのです。

自分も相手も愛を胸にちゃんと持っています。
相手の愛がほしいなら
まず自分の愛をあげてみることですね。

自分の愛はいつでも泉のように湧きでていますから
いつでも誰にでもあげることができます。

愛されることに視点を置くと心は悲しくなります。
ない。
足りない。
もっと。
と。

自分が愛することに視点を置くならば
その愛はなくなることはありませんから愛されないと嘆くことは在りません。

幸田先生は与えることの大切さをいつも言われています。
そして与えさせていただく行為が自分にもたらす至福の体験をすることができました。
与えられるよりまず与えよ。
与え続けることによって生まれる自分の中の光の玉の輝きは誰にも左右されません。

貴方に愛されるから幸せなんじゃなくて
自分の中にある愛があったかいから幸せなんだと言う事。

幸せを他人にゆだねる必要はありません。
幸せだと思う心は今この瞬間自分の中に泉のように湧きでています。

いつもそこに意識を集中して生きたいと思います。
どこ生きたい行きたいのか?
私の中の絶対安心・絶対幸福へ。


最後まで読んでくださりありがとございました。





 
fukuchansmile * - * 17:50 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark

喜んで愛されていい

 
こんにちわ。
エキスパートガイドの福寿谷です。

みなさまいかがお過ごしでしょうか?
今日もこのブログを読んでくださりありがとうございます。


私は今日仕事の合間に
母の携帯を買いに出かけました。
母といろんな話をしながら過ごすことができて
とっても楽しい時間でした。
今は母と職場も一緒でただ一緒にいるだけで嬉しいのです。

母を子供のころから好きでした。
母は仕事をしながらご飯も毎日作ってくれて
美人だし頭も良いし可愛いし自慢の母でした。

私はこの母に愛されたいと子供ながらに思い
母から認められる自分になろうと
愛されることには価値がいるという決めつけをしてしまったのです。

価値がないと愛されてはいけないという思い込み。決めつけ。

先日友人の奥さんが幸せそうなお二人の写真を送ってきてくれました。
まさに満たされているラブラブな写真です。

その写真を観て私がどう思ったか?
何とその奥さんの天使のような笑顔にムカついたのです。

感情で言うならば怒りです。

私はたびたびかわい子ぶりっ子タイプの女性にデトックスを感じていたので
まだ解決していない何かのために自己観察しました。

まずかわい子ぶりっ子には裏があってずるいという決めつけがありました。
それは中学の時ものすごく可愛くてか弱くて守ってあげたくなるようなタイプの女の子が
表では目をキラキラさせ満たされた笑顔をしている
一方
裏では私の上履きに画びょうをいれたり
嫌がらせの手紙を送り続けたりしていた過去があったからです。

それは強烈な出来事でした。
もうとっくに終わっていたと思ったけれど
可愛い子ぶりっこに反応する自分の潜在意識にまだあったことがわかりました。

天使の笑顔と凶悪な行動、両方が彼女でした。
裏があっちゃいけないという私の価値観が自分を苦しめていたことに氣づきました。

裏があることをかたくなに許せない自分がいました。
よく考えてみると裏があるって誰でもあることなのに
裏表があることは悪いことという決めつけがありました。


でも本当の自分ってどれなんでしょうか?
母であり娘であり女であり社会人であり
それ全部自分。
いいとこばかりじゃなくてずるい自分もいれば臆病な自分もいます。

ひらりーにこの自己観察の話をすると
何と
ふくちゃん、何言ってるの?
ふくちゃんぶりっ子でしょー。
若返りとか可愛く撮影してくれるカメラマン探したり
それ裏があるし可愛く見せようとしてるぶりっ子じゃないー!
と言われました。

ええー!
私ぶりっ子だったんだ。
自分のことって本当わからないものです。
ぶりっ子イコール裏がある。
そこにデトックスを感じていたのか自分本人の姿でした。
鏡ですね。
私もぶりっ子
貴方もぶりっ子。
何んにも悪くない。
ムカつくこと何てなかったことに氣づきました。

そしてまだモヤモヤしていたのは
手放しで幸せになってはいけない。
もらう価値もない裏のある人が幸せになってはいけないという価値観がありました。
価値がないと幸せになってはいけない。
価値がないと手放しに幸せを喜んではいけない。

そんな
条件づけばりばりの愛の受け取り方を潜在意識にまだあったことを
発見できました。

無条件の愛に生きているはずが
条件づけバリバリの愛に苦しんでいたのです。

手放しに幸せになっちゃいけないのよー
無意識の領域でそう決めつけていたんだから幸せになれるわけありませんよね。

では何故私は条件づけが必要だったのでしょうか?
良いとか悪いとかのジャッジの中で生きてきたからです。
それは好みでありその人それぞれの価値観によってのもので
どっちがいいとかよくないという話ではないのに。
正しさから逃れられない自分がいたのです。
正しさとは誰の常識ですか?
それが社会の常識だったら
私はもうそれに従う必要がありません。
誰かのための人生ではなく自分の人生を生きるのに
相手の顔色みることはもうしなくていいのですから。

世間に自分の人生ジャッジされたくありません。
ならば他人の人生価値観もジャッジする必要がないのです。
だから両方正しい
でいいんじゃないですか。

できてもできなくてもいいんだから
そこに条件づけはいらなくなりました。

私は不出来でも愛されていい。
どんな自分であっても手放しに幸せになっていい。
喜んで愛されていい。


最後まで読んでくださりありがとうございました。

エキスパートガイド
福寿谷信江













fukuchansmile * - * 22:56 * comments(0) * trackbacks(0) * pookmark
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